施設心理士ー児童養護施設ー

海外における社会的養護と心理学の関わり
大戦後、世界各地で多くの子ども達が親を亡くしました。孤児院に入所した子ども達のうちの多くは心身の発育の遅れや、感情コントロールの難しさなどが目立つようになります。
当時、精神分析家であったボウルビィ,J.は施設の子どもに注目した愛着の研究を行い、臨床心理学へ大きな示唆を与えます。
(ボウルビィの考え方は世界保健機関(WHO)の親を失った子どもたちのための福祉プログラムの根底ともなっていきました)

その後、世界的にはソーシャルワークの発展もあり、施設に入所し続けるよりも、里親や養子縁組を目指すケースが多くなっていきます。例えば、アメリカでは親に対してプログラムを組み、定まった期間で改善がみられない場合、里親や養子縁組などの取り組みがなされていきました。

日本での動向
1947年、日本の「孤児院」は「養護施設」という名称に変更されました。戦後、世界的に孤児の多い時代でしたが、財政が厳しく、養育の視点からも十分な支援ができないという現状がありました。(この「養護施設」という名称は1997年の法改正によって「児童養護施設」へと改められます)

その後、時代の流れとともに親の存在はあっても様々な事情で養育が難しくなったり、施設へ預けられたりする子どもが増えていきます。生まれたばかりの赤ちゃんがコインロッカーへと遺棄される「コインロッカーベイビー」はその問題を感じさせるものでもありました。
そうしたなか、1980年頃より、児童虐待への社会的な関心が高まっていきます。以前から非行の低年齢化など不適切な家庭養育と子どもの育ちへの影響は垣間見えていましたが、社会的養護を推進する必要性が一般的にも注目されるようになっていきました。

心理職の働き
1999年、被虐待児に心理支援が必要であるといった視点から、児童養護施設に心理担当職員を配置するための補助事業が開始されます。心的外傷のための心理療法の実施や、自立を援助することなどが目標に掲げられ、心理担当職員の業務は①心理療法②生活場面面接③CWなどへの助言及び指導④処遇会議への出席⑤その他、とされていました。

構造化した面接を行うことが多い心理士にとって、従来の在り方とは異なった働きといえるものもありましたが、その後も心理職を必要とする流れは高まっていきます。

2006年、児童養護施設・乳児院において非常勤職員であった心理職員を常勤化することができるようになるなど、国をあげて社会的養護への心理支援の推進がなされます。

生活場面にどの程度の介入するかなど、各施設での違いや、一般的な面接場面への影響、生活指導に交わる上での心理職のアイデンティティなど様々な点で工夫が求められる職場ではあります。
一方、施設のなかに心理士が入るということは必然的に治療的な環境を作り出すために自身を作用させていくといった意味合いも含んできています。