自閉症の研究史

ときに不思議にも思える行動様式がみられることのある自閉症。現代では発達障害の主要なものの1つにあげられますが、世界で初めて提唱された時期は大戦中にさかのぼります。

戦時中の2人の研究者ーカナー,L.とアスペルガー,H.
1943 年、アメリカの児童精神科医カナーが11 人のユニークな症状を示す子ども達の症例を発表します。「情緒的接触の自閉的障害」という題名で記されたこの論文では「聡明な容姿」「機械操作の愛好」をはじめとした特徴ある子ども達の臨床像が記載されました。
カナーはブロイラー,E.の統合失調症の研究で知られる「自閉的」な状態をこれらの臨床例へも用いたとされています。しかし、その要因を家族の性格を含めた生育因を窺わせるものとしても掲載していました。
翌1944 年、カナーはこれらの症状を「早期幼児自閉症」と命名します。
同年、オーストリアの小児科医のアスペルガーが「幼児期の自閉的精神病質」と題した論文を発表します。アスペルガー、カナーは間接的なつながりがあったことが分かっており、両者の報告した患者の様子も類似したものでした。

ラター,M.の言語障害説
自閉症の心因論が問われていたなか、1960年代に入り、イギリスの精神科医ラター、共に研究にあたっていたモズレー病院の医師達はそれをひっくり返す説を唱えます。
その内容は、自閉症は生まれもった脳器質的な言語や認知の障害が「一次的な障害」であり、カナーが挙げた他の特徴はそこから派生する「二次的な障害」であるというものでした。つまり、自閉症において、「自閉」はまさに言語・認知障害から引き起こされる二次的な障害だというわけです。
この説は自閉症が「家族の育て方による」といった考えを否定し、「生まれつきのものである」といった説でもありました。
しかし、言語の障害に自閉症を起因させる説そのものはのちに否定されていきます。

ウィング,L.―アスペルガーの論文の再注目
1981年、イギリスの精神科医ウィングは戦時下ではほとんど注目されなかったアスペルガーの研究をもとに「アスペルガー症候群」を論じ、自閉症研究に大きな影響を与えます。

ウィングは自分の娘が発達障害であったことから、自閉症の研究に携わり、自閉症スペクトラムの基盤ともいえる説を提示します。なかでも、彼女の指摘した「3つ組の障害」といった視点は後世の研究へと引き継がれていきました。ウィングはこの「アスペルガー症候群」の名づけ親となりました。

アスペルガー症候群の三つ組の障害(特性)

2013年にはアメリカ精神医学会のDSM-5において「自閉症スぺクトラム障害」として、包括的な概念が提唱され、世界に広く認識されていきます。この「スペクトラム」という言葉は波長や分光の連続する様相を表しており、成長のなかで様々な状態へ移り変わる臨床像をうまく言い表しています。

現在は当事者が書いた手記・記録も多く、自閉症の認知度は当時よりも飛躍的に広がっています。
日本でも法整備が進むなか、教育現場などでも実態に即した支援が目指されています。