芸術と心理療法

心理療法は心の深層で起きていることにセラピストとともに目を向け、アプローチしていきます。
一方、精神的な病とみられる状態を経るなかで無意識内で起きている事象をイメージとして表現し、創造性を発揮した人たちもいます。

「創造の病」
天才的なひらめきや成果を達成した人たちが精神的な危機を経験することに注目した人物にカナダの精神科医エレンベルガー,H.F.がいます。
1970年に出版した『無意識の発見』という書物では、無意識との関わりについて、精神医学の成立以前の歴史から考察していますが、心の奥から生じる創造性について指摘がなされています。無意識領域探求の歴史、古くはシャーマンや呪術にまで遡るこの書物は「天才」といわれた偉人たちが経験した心理的な不調へも焦点が当てられています。(そして、このことは「創造の病」とも言い表されています)

芸術と創造性
芸術の分野で活躍し、上記の状態を思わせる人物には『叫び』で知られる画家ムンク,E.がいます。ムンクは1908年、統合失調症の診断を受けますが、精神内界の深くで起きている事象を絵画で表現しました。

一連の作品を見ると、初期作品から精神状態の悪化、そして回復の過程から彼の絵画の雰囲気、描き方そのものまでもが劇的に変化していることがみてとれます。
これらはムンクが困難な状態に瀕しても心のなかで起きていることを表現し、危機を通過していった過程とも心理学的には理解することができます。

心理療法からみた境界の危機―困難さを支えるために
人は重い精神疾患を抱えると、ときに心のなかで起きていることと実際の出来事との区別、自分と他者とが感じていることとの境界線などが非常に曖昧に感じられることがあります。

精神科医であったユング,C.G.は1910年代頃より、破滅的な光景をはじめとする様々な幻覚やビジョンにさいなまれ、精神病を思わせる状態に陥りました。しかし、彼はそれらイメージを曼荼羅などで表現したり、書き留めたりしていくなかで意識化する試みを行いました。のちにユングは自身の体験を人類に共通する普遍的なイメージとして研究し、統合失調症をはじめとする患者の抱く幻想を理解しようと努めてきています。

また、精神疾患、特に統合失調症の治療者として特徴的な治療を行った人物には「対人関係論」を提唱したサリヴァン,H.S.がいます。サリヴァンは思春期の頃の親密な同性との関係性を“チャムシップ”という言葉で概念化しましたが、統合失調症の患者の入院環境を同性スタッフのみとした治療を行っています。これは思春期の多感さと統合失調症の共感性の高さとの類似性、そこへ自身のペアとも言いうる存在的な支えの精神的意義に着目したものとも考えられており、心理療法の歴史のなかでもその重要性が認められています。