オーストリア出身の精神科医・心理学者であり、個人心理学の創始者です。
フロイト,S.やユング,C.G.と並んで心理学の3大巨匠とされており、原因追求型であったそれまでの視点とは違ったスタンスによって心理学を大きく前進させました。
生い立ち、医学との接点
1870年、ウィーン郊外のユダヤ人の中産階級の家庭に6人きょうだいの次男としてアドラー,A.は生まれました。家族は穀物商を営んでおり、昔から父との関係は良好であったようです。一方、母との関係はうまくいかなかったことをアドラー自身は回顧しています。
病弱だったアドラーは幼い頃に声帯が痙攣したり、くる病(乳幼児に起きやすい骨格異常)を患ったりしました。幼少時は肺炎で生死の境をさまよったこともあります。そのためか背丈も150cmと男性としては小柄でした。
1歳下の弟をジフテリアで亡くすといった過去を持つアドラーにとって、一連の経験は医学の道を志すきっかけとなったといわれています。また、身体的なコンプレックスがのちの「器官劣等性」に関するアイデアへつながっていったようです。
1888年にウィーン大学医学部へ入学。卒業後も医学の道を志しました。
1897年、生涯のパートナーとなるライサと結婚します。彼女は大地主の娘であり、政治的活動へも積極的な女性でした。
1902年、しだいに心理に関心を抱くようになったアドラーはフロイトの精神分析の研究グループへ参加します。フロイトと比較的、年齢が近かったこともあり、『器官劣等性の研究』を上梓するなど関わりを深めていきました。
しかし、1911年に意見の違いにより、フロイトと袂を分かちます。当時、アドラーは41歳でしたが、フロイトの提唱する「エディプス・コンプレックス」と自身の幼少期の体験との違いが一端となったともいわれています。仲間達と「個人心理学会」と呼ばれる会を立ち上げ、活動に励みました。
社会的活動、理論の成熟
アドラーの病院近くにあった遊園地では道化師や軽業師といった芸人達が勤めていました。アドラーは話を聞くなかで彼らが厳しいトレーニングに至るまでに身体的なコンプレックスを抱え、それを乗り越えてきたことに気づくようになります。こうした経験から個人心理学の“劣等感”が個人を成長させたり、神経症に陥らせたりする基本的なメカニズムであると考えるようになっていきました。
第一次世界大戦中の1916年、もともと医師であったアドラーは軍医として従軍します。アドラーにとっても戦争体験は大きな影響を与え、彼の特徴的な発想である「共同体感覚」を思いつくきっかけとなったといわれています。
1918年、敗戦国となったオーストリアは帝国が解体し、オーストリア共和国となります。当時、国内は混乱し、少年非行が増加するなどの問題が起きていました。そのような状況下、アドラーは世界で初めて児童相談所を設立するなどし、子ども達の精神的健康についても各地で講演を行いました。
1924年にはウィーン市が独自に設立した教育研究所の治療教育部門教授に就任。教師の再教育へ力を尽くしました。
アドラーの功績・影響
1920年代半ばにアドラーはアメリカを訪れます。その思想は特にアメリカで評価されていきました。ヨーロッパや北米をはじめとした世界各地を跳び回ることが増え、カウンセリングへ精力的に取り組みました。
世界大恐慌を経たのちにはオーストリアでファシストの勢力が増したことにより渡米。アメリカで永住を決めますが、そうしたワーカホリックともみなされる生活は継続されました。
しかし、1937年にスコットランドでの講演日に発作を起こし、67歳で生涯の幕を閉じました。当時、長女夫婦がナチスの支配を逃れてモスクワへと移り、音信不通となっているといった落ち着かないなかでしたが、病院へと向かう救急車の中で息を引きとったといわれています。
個人心理学の特徴、鍵となる概念
器官劣等性 | 幼少期に由来する身体的ハンディキャップ。客観的に劣っている、とみられること。 |
劣等感 | 「自分は劣っている」という主観的感覚。不安とともに成長の根源となる。 |
劣等コンプレックス | ”劣等感”と異なり、それを認められないことで、個人を「挫折を避けること」へと支配するもの。 |
優越性の追求(権力への意志) | “劣等感”を補償するための原動力となる意志。 |
共同体感覚 | 「人間は皆互いを支え合う仲間である」という価値観・思想。 |
目的論・全体論 | “目的論”は「人は何かの目的があり、今の状況を作り出している」という考え方。 “全体論”は「人間は分割できない統一体であり、意識と無意識、精神と肉体といった二分法ではなく、身体の各部分が有機的に関わり合い、調節され、それが行動、態度として表出する」という考え方。 |
アドラーの理論はメカニズムとして比較的わかりやすく、人々へと受け入れられていきました。フロイト・ユングのような問題の原因を追究する「原因論」とは異なり、どのような目的があってその問題が引き起こされたかを探る「目的論」という視座をアドラーはとります。
「なぜ、その行動をしたのか?」ではなく、「なんのためにその行動を起こすのか?」というアドラーの理論は臨床心理学に新たな観点と広がりを与え、発展させていきました。