ハリー・スタック・サリヴァン(1892- 1949)

新フロイト派に位置づけられるアメリカの精神科医です。「精神医学とは対人関係の学である」という考えをもとに対人関係論を生み出し、統合失調症の治療に優れた理論的枠組みを提示したほか、実践においても高い治療効果を発揮しました。
また、WHOの立ち上げに尽力して精神保健の国際化に影響を与えるといった実績に加え、操作的診断基準の導入などによって現代精神医療の基礎を築いた人物です。

生い立ち
1892年、アメリカのニューヨーク州の小さな村に父ティモシー・サリヴァン(当時35歳)、母エラ・メイ・スタック・サリヴァン(当時39歳)との間に生まれました。アイルランド系移民3世であったハリーは孤立した寒村で育ったことからアメリカ文化になじむことには不利であったようです。一方、両親の間では2人の男子が早くに亡くなっており、実際的な一人っ子としてハリーは成長します。
しかし、1894年に母親は精神的な不調から2歳半頃のハリーの前から一時的にいなくなってしまいます。彼をとてもかわいがっていましたが、父ティモシーが不況のさなかに家を購入したことが引き金となり、激しく動揺したためであるといわれています。引っ越したのちも父は農場の仕事で1日中家を空けており、息子への影響は薄かったとみられます。母方叔母マーガレットが時折、家に手伝いに入るほか、2歳半頃~4歳頃まで祖母の厳しい躾のもとで過ごしました。

5歳の年に小学校に入学しますが、初めの3年間は1マイル半先の学校へ通学し、親密に付き合った友人は多くありませんでした。親しい友人ができたのは8歳頃。13歳のクラレンスと友情を深めるようになります。周囲から見ると似つかわしくない2人であったようですが、互いに一人っ子で打ち明け手がいなかった点は共通していたようです。こうした思春期にかけて続いた友人関係をもとにし、大人になってからの精神安定に重要とされる彼の鍵概念である「チャムシップ」の着想を得たとみられています。

その後、16歳でハイスクールを卒業しますが、コーネル大学入学後、精神的な孤独に陥ります。寄宿舎で素行の悪い学生といさかいもあり、入院や停学を経験しています。

病院臨床の実践と社会的活動
1911年、あらためてシカゴ医学校に入学。1917年に卒業しますが、当時は第一次世界大戦が起きており、陸軍を志願します。
大戦後の1921年、29歳頃からワシントンのセント・エリザベス病院で精神神経科医となりました。この頃から戦後の兵士の心理的ストレスを分析・研究し、予防精神医学に傾注しています。(当時に発布したスクリーニングはDSMの原型となります)

その後、シェパード病院にて統合失調症の治療に精力的に取り組みます。その頃は今よりも治療困難といわれていた疾患ですが、男子棟を受けもち、スタッフも全員男性といった体制を組んでいます。同性による同級社会を作ったとされ、これを彼は「社会的治癒」といった考えのもとに実行し、高い成果を上げました。

1930年、39歳でニューヨークで開業したものの、2年後には破産しており、私生活は安定しませんでした。一方で社会生活を送るうえでは「ホワイト精神分析財団」の認可に加え、ワシントンで精神医学校が設立されたこともあり、教育と研究に力を尽くしています。この頃にはホーナイ,K.やフロム,E.らとも交流があり、ヨーロッパの精神分析の流入の時代のなか「新フロイト派」と称されながら活動しました。

1942年には「大統領令」による戦時情報局の設立にも関わったほか、1948年に世界精神衛生連盟(WFMH)を創立するための国際会議に参加するために旅立ちます。しかし、翌年の1949年の1月に特使として滞在していたパリで亡くなりました。

人物像
ハリーは母親の溺愛を受けていたものの、その両極端さをどこかで感じていたようです。また、躾の厳しい祖母、支えてくれた叔母の存在といったような女性の影響が強く、父の影の薄さをたびたび指摘されています。
思春期の同性関係を重視したこともあり、同性愛に関する言及をされることもありましたが、男性精神科医からはむしろ敬遠され、女性の擁護者や話し相手の方が多かったようです。

また、シカゴで生活を送った時期には不安と戦うためにアルコールを用いており、最晩年には重い病気を背負い、狭心症の痛みを抑えるために飲酒していたとみられます。彼自身も深い苦しみを抱えながら日々を過ごしていた一面がうかがえます。
統合失調症の緊張型ともいえる病を経験し、「天才」ともいわれる臨床家ですが、浪費癖や同僚からの多額の借金、開業後の破産など波乱に満ちた人生を送りました。

しかし、亡くなるまでに多くの患者を精力的に担当したという事実もあり、病院臨床や治療論の発展に大きな功績を残しています。

サリヴァンの主な理論

生前に公刊した本は『現代精神医学の概念』のみであり、死後に出版されたものの多くは講義録です。実践家であった彼の精神病理のとらえ方は対人関係の失調に焦点を当てることに特徴があります。

自己についての基本的なとらえ方

自己組織「自己」を周囲の重要人物との関係を通して生成発展を繰り返すダイナミックな構造体ととらえる。生理的な満足欲求、重要な他者からの承認といった心理・社会的な「対人安全保障感」を得ることを目標として生成されていく。
選択的注意・選択的非注意
人格残余部
心の安全を保つために良いものに「選択的注意」を向ける。一方、重要な他者から排斥されたものは「選択的非注意」として注意の外に置かれる。
不安、不承認は自己組織の外側に解離し、統合されなかった「人格残余部」として病理と深い関係をもつ。
自己組織の破綻自己組織が歪む、破綻をきたすことにより、精神的な病を発症することとなる。

発達段階

プロトタクシス幼少期の未熟な認知段階にみられる非対人的で断片的な体験様式。対象の知覚はあくまで“その場限り”の体験にとらわれており、経験の連続性やパターン化がほぼ存在しない。自己と他者の区別が曖昧であり、体験は一様となっているため、外界の認知は非常に限定的となっている。
パラタクシス体験のなかに特徴的なパターンを見い出し、世界を“つながりのあるもの”として組織化していく体験様式。象徴を用いて対象を捉え分けする。
ただし、自己の知覚と経験がまだ一致しておらず、「転移」「投影」などの防衛機制により、感情的なコミュニケーションをありのままに行うことに難しさが生じる。
このパラタクシス的な対人関係を意識し、対処していくことが治療の第一の重要局面と考えられている。
シンタクシス現実的で客観的、適応的な体験様式。現実検討力、共感性が発達しており、外界と文脈に応じたコミュニケーションをとりつつ、自分を適応させることができる。